幸せは自分サイズ。身の丈に合えばそれでいい

幸せな老人

世の中は、圧倒的に凡夫の数が多いわけであり、無理して聖人のふりをすると、ロクなことはありません。凡夫はそれなりに、ささやかな成功を追い求めることが自然体なのです。

天外伺朗

社会的に高い地位を得て有名人になること。

たくさんのお金を稼いで、豪邸に暮らすこと。いい服を着て、いいクルマに乗り、周りからチヤホヤされる。男なら、たくさんの美女も追加。

これが、ひと昔もてはやされた「成功した人間のテンプレート」だった。

何かを得れば何かを失う

もちろん、そういうことが実現できる人はごくわずかな例外だから、これはこれで成功の1つのカタチには違いない。

ただし、このような成功を求めることが、自分にとって意味があるのかは別問題。その成功で幸福になれるかは分からない。

成功によって不幸になることもあるから」だ。

富を得ることが成功になるとは限らない。高い地位に上り、有名人になることが成功とは限らない。周りからチヤホヤされることが幸せとは限らない。

何かを得れば何かを失う。たくさんの収入を得ている人は、想像もできない問題を抱えていることもある。

有名人は、たくさんの人から認知される代償に、個人のプライバシーを失う。有名税も支払わなければならない。つまり、良いことだけ持ち逃げすることはできない。

大切なのは自分の幸せを見つけること

大切なのは、成功によって幸せになることだ。

ところが、何が成功なのか。それは人それぞれ違う。だから人生幸せになれるか不幸になるか。それは絶対に人任せにできない。

だからこそ、

「自分の人生はこれでいい」

自分自身がそう思える程度の成功で十分。

つまり大切なのは自分の器にあった成功さえ手に入れること。幸せは個人の感覚であり、人とは比較できないもの。自分さえ満足できればそれでもう、十分なのだ。

最後に

自分は自分、人は人。「俺はあいつに比べて・・・」など、いちいち自分を不幸にするような考え方をする必要はない。

大切なのは自分自身が「これでいいんだ」と納得感を感じる日々を過ごすことである。だからこそわざわざ自分と人。幸せを比較する必要はない。

人より大きな成功ができなくてもいい。人よりお金が稼げなくてもいい。

ただ今ここにいる自分自身が満足できる何かを見出すことさえできるなら、それは十分、幸せな人生なのである。

他人がどうとか関係ない。自分は自分の感じる幸せを、ただ受け入れればいいのである。

出典

『運力―あなたの人生はこれで決まる―』