「願うだけ」で現実は変わらない当たり前の話

祈る女

神がどうしたか知らねえが、祈りで幸せになったら、誰も苦労しねぇぜ。

ハイエナのパッチ

強く願うこと、心から望むことは実現するというが、強く願い、欲しい物を想像する。これだけで願いが実現したら、どれだけ素晴らしいだろう。

人は夢や希望、幸福を願う。これらの行為自体は別に不自然ではないが、それだけでは目の前の現実は何も変わらない。

脳内で人生の素晴らしい未来予想図を描いたところで、それだけではただの妄想でしかない。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

「願うだけ」では現実は変わらない

願い、空想するのもいい。

だが、本当に脳内で空想を描くより、今できる目の前のことをやり、現実的な可能性を模索するほうが、理想の人生を実現する可能性は高まる。

お金持ちになりたければ仕事をし、何をすれば稼げるかを調べ、それに挑戦してみる。人間関係を作りたければ人の輪の中に飛び込み、対人技術を磨く。

人生にそうそう奇跡は起きないし、都合よく物事は進まない。だからこそ、行動という現実的な手段を大切にしたい。

「願う」より「動く」

もちろん、行動が結果につながらないこともある。しかし、人は動けば動くだけ、得るものがある。

1つの行動が、自分の思いもしない道へつながっていることがある。そういうとき、人生は予想以上に面白いものだということに気がつく。

バラ色の人生を妄想するのもいいが、やはり行動によって目の前の現実が変わる方が、はるかにエキサイティングだ。

目の前の現実が変わっていったとき、ふと、「幸せ」というものに気がつく。そういうものなんだと思う。

最後に

理想の人生を思い描く。富や理想の恋人を引き寄せようとなにかに祈る。

それは決して無駄ではないと信じつつ、現実にそれらを手に入れるためには、具体的行動が必要である。

なぜならこの世界は、実際の行動を起こすことによって、願いや思いを現実に転化することができる場所だからである。

願うだけならただの夢想家。「願うこと」と「行動」はセットが原則である。

出典

『デモンズソウル』