人生スイスイ。
したいことを実現し、幸せな人生を謳歌する人がいる一方で、なぜか人生トラブルが続く人もいる。目の前の困難を乗り越えても、更に大きな困難が次々と訪れる。
両者の違いは、「心構え」だとか「運命」だとか、いろいろな理由を後付けすることはできる。しかし、私たちが無駄に苦労する人生を避けるために意識的にできる行動は一つだけ。それが「選択」である。
つまり、進むべきでない道は進まない。「やめとけ」と直感が告げる道は、素直にやめておく。自分が進むべきでない道に進もうとしたとき、即座にその間違いに気づくことが大切だ。
「間違った道」に進んだときのサイン
まず結論から。「この道を進んではいけない!」というときは、とても分かりやすい現象が起こる。それが障害の発生である。
間違った道へ進んでいるときは、なぜかトラブルが頻発する。心身の調子が悪くなったり、不運な出来事が続いたりする。「いつもなら起こらないこと」が次々と起こる。その道が進んではいけない方向であればあるほど、目の前に現れる障害は大きくなる。
もし、あなたがある方向へ進もうとした瞬間、心身に大きな負担を感じるような問題が起こったり、今まで経験したことのないようなトラブルや「なぜこんなことが起こるんだろう?」と首をかしげたくなる出来事が発生したら、それは素直に「やめとけ」のサインと受け取るのが賢明である。
なぜなら、間違った道を進んでいる場合、いくら必死にその障害を強い意志で乗り越えようとしても、その後にはさらに大きな障害が待っている可能性が高いからである。つまり、あなたは「ベリーハードの道」を自ら選んでいくことになる。
進むべきか、引き返すべきか? 直感と障害のサイン
例えば、あなたが現在転職中で、A社かB社かを検討しているとする。A社の面接に行くと、面接官がとても好意的で、あなたも好印象を持つ。
さらに、転職までの道筋もクリアで、事務手続きも滞りなく進み、A社に就職する際に気になる障害は何も起こらない。なんとなくイヤな感じもしない。この場合は問題ない可能性が高い。
一方、B社に向かう途中、電車が遅れるなど「普段起こらないこと」が起こったり、面接前に急に心身の調子がおかしくなるなどの変化が起こる。あなたの足取りも、理由もなく重く感じる。
このとき、あなたの直感は「理由は分からないが、何かイヤな感じ」を告げているはずだ。その直感を無視してはいけない。何かが「やめとけ」と告げているからである。
そしてその証拠は、面接時に理不尽な圧迫面接を受けたり、入社後に社内の内情を自分の目で見ることで見つかる。そして確信する。「この選択は間違いだった」と。
障害とは「軌道修正」の勧告である
早い話、「そっちは違います!」というサインがあるとき、必ずその道に進まないように、トラブルや異変、問題といった「障害」が用意される。
つまり、あなたが進むべきでない道を進もうとしたとき、それに気づくための「軌道修正」のチャンスが与えられる。それが「障害」が起こる理由であり、いつもは起こらないことが急に起こる本当の理由である。
もちろん、あなたには「意思の力で障害を克服する」という選択肢もある。目の前の困難に勇気を持って立ち向かうことは、人として正しいことかもしれない。
しかし、その場合、ひとつ注意すべきことがある。それは、目の前の障害をいくら頑張って克服しても、次にさらに大きな障害が訪れるということだ。そして、その大きな障害を乗り越えたとしても、困難はますます増えていく。
結果として、あなたは「苦労を克服し続ける人生」を送ることになる。
苦労しない人生ほどうまくいきやすい現実
「苦しいことを頑張れば報われ、苦しいことが逃げていれば人生は不幸になる」というのが一般的によく言われる考え方かもしれないが、むしろ現実は異なる。
幸せな人ほど苦労していない。そして、恵まれた人生を送っている。一方で、苦労を抱えた人ほど、なぜか更に大きな苦労を引き寄せる傾向がある。この点、「人生頑張る必要はない。直感に任せていれば人生はうまくいく!」という考えは、決してお花畑の綺麗事ではない。
現実では、頑張らなければいけないことを頑張っていると、ますます頑張る必要がある現実が押し寄せてくる。であるならば、むしろ「頑張ってはいけないことを素直に頑張らない方が正しい選択である」と考える方が自然である。
困難に突撃していく人生をやめ、自分の直感に従って適切な選択肢を選ぶことによって、頑張っているつもりもないのに、なぜか道は自然と開けていく。だから、無理なことは無理とあきらめていい。進む必要がない道は、進む必要がない。シンプルな話である。
人生は、直感に従うことで開ける!
私たちが進んではいけない道に進もうとしたとき、「障害の発生」という形で、その歩みに「STOP!」がかけられる。
大切なのは、そのメッセージを正しく受け止めることである。「気のせいさ!」「頑張ればいい!」とその忠告を無視していると、ますます発生する障害は大きくなり、結果として苦労続きの人生を生きることになる。
頑張り続けなければいけない人生は辛い。あなたが意識してそれを望むのであれば問題はない。しかし、もしそれを望んでいないのであれば、直感が告げる忠告は素直に受け取るのが吉である。
もちろん、「そこで更にアクセルを踏んで頑張る」という選択肢もある。そのデメリットを自覚した上でその選択を選ぶのであれば、それはそれで一つの生き方である。
最後に
人生は、苦労に苦労を重ねる人ほど不幸な人生を送り、苦労をしない人ほど幸せで豊かな人生を生きているという皮肉がある。そこから冷静に学ぶことがあるとすれば、苦労を良しとする価値観からそっと距離を置くことである。
本当にその苦労をする価値があるならば、あなたの道をさえぎるような障害は発生しないはずだ。自然とあなたは、その道を進んでいるだろう。
もしそれをしようとしたときに障害(=邪魔やトラブル、不運)が発生するのであれば? これはとても重要なメッセージである。
「私は間違った選択をしようとしていないだろうか?」
日々、意識することをおすすめしたい。
追記
この記事を公開した当時、私自身は「人生可能なら、苦労はしないほうがいい。間違ったことは最初からしないほうがいい」と考えていた。今でも原則として、この考え方は変わっていない。
だが一つ、付け加えたいことがある。それは、「もし人生で避けようとして避けられないことが発生したなら、それには必ず理由がある」ということである。
例えば、人生で苦労をすることになったとき、それをマイナスに捉えるのではなく、「必要なことを学ぶために与えられたチャンス」と考えることもできる。
そして実際、人生の一時期に苦労したことが、その後の人生に飛躍的な変化をもたらす場合がしばしばある。苦労や挫折、敗北、失望といったマイナスの経験が、私たちの人生に幸運を呼び込む「原因」になることは多い。
もちろん、この記事の冒頭で述べた通り、人生には明確に「それはやめておけ」ということがある。目に見える地雷に自ら飛び込む必要はない。避けられる苦労は避けて当然である。
だが、それでもなお苦労をすることになったなら。避けられないマイナスの経験と直面したのであれば、その中から学べることを学び、気づくべきことに気づくことが、大切だと思うのだ。