「周りに流されない自分」になるシンプルな考え方

自分に自身がある女性

みんなが王座につこうとする。狂気の沙汰だ。幸せが王座にあるとでも思っているのか!しかし王座にすわっているのは、しばしば泥にすぎない。それに王座も、しばしば泥のうえにすわっているだけだ。

ニーチェ

「人に流される」という表現がある。

私たちはそれぞれ、「私は◯◯だと思います」という意見や意思を持っているはずだが、私たちは一人の個人であると同時に集団の生き物である。

所属する人間関係、組織、環境によって意識するしないに関わらず影響を受けてしまうものである。それは社会で生活していく上で避けられないことだが、それはあくまで程度の問題である。

ときに私たちの人生において、「それでいいのだろうか?」という心の声が湧き上がる瞬間がある。そこで周囲に流されるか。それとも「自分が感じたこと」を大切にするか。道はここで、2つに分かれる。

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はじめに

「バンドワゴン効果」という心理学の言葉がある。「みんなが選ぶもの、人気があるものは良いものである」と人々が考え、さらにそれが人気になる現象である。

たとえば人が並んでいる店を見れば「あれだけ人が並んでいる人気店なのだ。私も並ぼう」とするのはまさに「バンドワゴン効果」である。

みんなが注目するものには、それ相応の理由があるかもしれない。その価値があるかもしれない。だが冷静になって「人が並んでいるから何なのか?」と考えることも重要である。

人生の一時期に「みんな◯◯しています、だからあなたも◯◯しましょう」と流されれてみるのは一つの経験として学びがあるかもしれないが、流されてもたどり着く先は自分が望む場所とはほど遠いのがお約束である。

みんなはみんなであなたはあなた。「まわりがどうだから自分も」という考え方と距離を起くという考え方を知っておくことは今の時代、とても重要である。

安易に動かない。まずは立ち止まる。

人々に注目されるものは必ずしも自然発生的に生まれるとは限らない。ときにその注目は意図的に作られる場合がある。特に、不安を感じたときに注目を促される事柄についてはより一層、注意が必要である。

この記事でも書いたが、私たちはとある条件が生じたとき合理的な判断を忘れ、感情的に強く流されてしまう習性がある。

たとえば想像してみてほしい「あなたは深刻な病気が迫っています。今すぐ◯◯しないとあなたは・・・」など、強い不安を感じるような場面に直面したとき、あなたは冷静になることができるだろうか?

「自分は危険にさらされるかもしれない。今すぐ◯◯しないと・・・」と焦ってしまうのは当然である。私たちは自分を守るため、生来的にそのように仕組みが備わっているからだ。

だがここでその不安は不安として感じ、受け止めつつ、一つだけでいい。流され動いてしまう前に試したいことがある。それは「まず立ち止まること」だ。

自分の道に目覚めるために

「こちらへ進みましょう」と促され、ある方向へ進もうとしている。そこでまず自分は止まる。「こちらへ進む」ことは正しいのか。自分にとってベターな選択なのか。

動く前にまず立ち止まる。その上で「こちらへ進めば」どうなるか?その可能性を調べてみる。このときは一人だけでなく、いろんな人の意見を聞いてみる。その上で自分は何を感じたか。どうするのが良いと感じるか。まず自分の感覚を優先してみる。

流された結果それが結果オーライなら問題ないが、流されてたどり着く場所というのは、自分にとってベターな世界とは程遠いのがお約束である。

大切なことは、周囲に気を払いつつもそれにただ流されることなく、物事を自分自身で感じ考え、その意味を自分ごととして捉えることである。それは「目覚め」である。

自分の人生は自分が歩む大切な道であることに気づく、「目覚め」である。

最後に

私たちは誰かと関わり生きていく。そこで世間が注目することや話題にすることを、一通り理解しておき、それを日常の話題にできる社交性を持つことはとても大切である。

だがすべての選択、すべての行動は自分の感性を優先していい。なぜなら「みんな◯◯する」からといって、必ずしもそれが私たちにとってベター・ウェイとは限らない。「みんなの声」は積極的に聞く。だが自分の本音に忠実になっていい。

「バンドワゴン効果」のとおり周りの人に流されて動くのではなく、周りが動いたら一度止まって様子を伺う。「あなたも動かないのですか?」と言われても表面上は取り繕いつつも本音では安易に賛同しない。まず自分で考えてみる。

これからはそんな慎重な姿勢を持つことこそが、あなた、そしてあなたの周りの人生さえ関係するだろう。

出典

『ツァラトゥストラ(上)』、光文社古典新訳文庫版