多くの人が芸術家や職人に憧れるのは、生業として好きなことができるためだけではない。純粋な個人として生きてゆくというわがままが比較的許されるからである。
中島義道
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。これは50%正しくて、50%間違っている。
苦労をすることで、人は人の痛みや苦しみが分かるようになり、人生に対して幅広い見方ができるようになる。
判明、苦労し苦しみ過ぎることによって、人間が卑屈になり、人を妬んで人の足を引っ張るイヤな奴になる。
つまり、適度な苦労は人生の味を美味しくするスパイスになるが、過剰な苦労は人生をダメにする棍棒になるということだ。
幸運をつかむカギ
苦しみ続きのとき、不運が続くとき、ではどうするか。
自分の楽しみを追求する生き方にシフトすることだ。したいことはやる。頑張らなくてもいい。努力しなくてもいい(なぜならそれをしてダメだったから)。
ただ、毎日こだわらずに、したいことをやっていけばいいのだ。
芸術家のように、自分の好きを追求していけばいい。もしかすると、それが思わぬことを呼びよせる。
タダの人で好き勝手に生きる人間は単なるイヤな奴だが、世に認められている芸術家なら、好き勝手な行動がポジティブな評価になる。
ダメ人間が自由で楽しく生きるには、芸術家が一番である。
才能ゼロの凡人だからできること
ただしそのためには才能が必要だ。そして、その才能も、ごく一部の人にしか与えられていない。
つまり、「人生は自由に生きることができない。人生は最初からそういうもの」と考えておいたほうが、道を踏み外す可能性が低い。
我々凡人は、不自由でも着実に生きることが大切なのだ。
別に自分以外の他の誰か。才能溢れる誰かになる必要はない。ただ自分は普通の自分として、精一杯生きていけばいい。
結局はそれで十分だし、それにこそ、この人生を生きる意味があるのである。
最後に
「自分の人生は自分のもの。世の中思い通りに生きられる」
そう世の中を期待すると、秒速で痛い目に遭う。それは誰もが実現できることではなく、ごく一部の限られた人だけが実現できる生き方である。
しかし自分の思い通りに生きられないからといって悲観する必要はない。
自分は自分として生きていく。それが特殊であれ平凡であれ、不自由でも着実に生きていくことができたなら。「これが自分の人生である」と納得することができる。
問題はまさにそこ。世の中がどうだ。人がどうだ。そんなことは関係ない。自分は自分で、どう生きたのか。それこそが、問題なのである。
出典
『孤独について』