
たった一つの柱に頼ると、一時的にはすごく上手くいっているように思えてもいつかは必ずコケます。二つでもまだ不安定です。
なぜかというと、やはり、すべては時々刻々変化していくからです。そして危機は一度乗り越えても、必ず再びやってきます。世の中は必ず変化し、大なり小なり冬の時代はやってくる。
竹村亞希子、『春の来ない冬はない』より
人生は確かに、一本だけの柱に頼るより、いくつかの頼れる柱があったほうがいい。
一本だけの頼れる柱が永遠に存続し続けるなら、それでもいい。だが実際問題、その柱が突如として崩壊してしまうことは起こりうる。
変わらないものは、何一つ存在しない。いくらそれが頑丈だったとしても、壊れるときに、それは壊れてしまう。そして、「冬の時代はやってくる」。
雪が吹きすさぶ冬の時代に、今すぐ「春よ来い」と願ったところで、その景色は変わらない。だが、冬の訪れを予感して、冬を少しでも快適に過ごすための準備をすることはできるはずだ。
自分にできることと、できないことを見極める
人生で最も大切なことの一つは、自分にできることと、できないことを見極めることである。
自分の可能性を信じることは大切だが、自分の力で変えることができない「不可抗力」があるということを認めることは、それと同じくらい大切である。
その不可抗力が発生する大きな原因は、変化である。
景気。市場。周囲の環境。自分の年齢。「すべては時々刻々変化していく」ことによって、世界が動いていく。その影響を受けて、私たちの柱も折れてしまうことがある。
それは必ずしも柱が弱いからではない。世界が激しく動けば、その柱は折れてしまう。
危機は偶然ではなく、必ず訪れるもの
いつ、柱が折れてしまうのか。それを一般論で語ることはできないが、一つ言えることがある。それは、「偶然、起きてしまう事故ではない」ということだ。
この世界は、常に変化し続けていく。それは春夏秋冬のサイクルのように、好調から停滞、衰退、そして回復へと、一定の流れを繰り返しているように見える。
その流れのなかで私たちは生きている。だからこそ、人それぞれタイミングは異なるが、誰の人生でも、柱が折れてしまう「危機」は訪れうる。それは人生の一部と言える。
危機それ自体をなくすことができないのであれば、「冬を消してしまう方法」を探すことは非現実的である。むしろ大切なのは、私たち自身が積極的に、「冬を越える方法」を探すことではないだろうか。
柱を増やすことは、冬を越える準備である
仕事、お金、人間関係、健康、趣味。私たちが増やせる柱はたくさんある。
その柱は、必ずしも収入や仕事だけに限らない。困難な時期に自分を支えてくれるもの、自分が再び立ち上がるための力になるもの、それらもまた人生を支える柱になる。
たとえば、仕事を失い収入源を絶たれても、人とのつながりがあれば、誰かの助けによって、新しい仕事が見つかるかもしれない。
健康を維持できていれば、再び働くための力を取り戻すことができるかもしれない。趣味や好きなことが残っていれば、苦しい時期の心の支えになることもある。
人それぞれ、柱の増やし方は違うが、柱を増やす試みはまさに、「冬を越える方法」を探すことである。それは、私たちが人生を生き抜くためにできる、確かな試みである。
柱はいつか、折れる。思わぬ形で、突然、折れる。その日のために、私たちが今できる範囲で、自分を支えるものを増やしておくこと。それが冬を少しでも快適に過ごすための準備であり、私たちの再起の可能性を高めてくれるはずだ。
最後に
「国破れて山河あり、城春にして草木深し」
真実という言葉をそう軽々しく使いたくはないが、この世には確かに変わらぬものは何一つない、「諸行無常」と呼べる場所らしい。
「すべては時々刻々変化」していき、その結果、望むと望まざると、危機は訪れる。一度乗り越えても、またいつか、訪れる。
ここで重要なのは、その危機を克服するというよりはむしろ、「生き残る」ことだと思う。その危機によって完全に打ちのめされさえしなければ、つまり生きてさえいれば、人生が上向き始める再生のフェーズに到達するからだ。
「すべては時々刻々変化」していく。最悪が訪れたからといって、それがその後に続くとは限らない。むしろ最悪の後には、新たな可能性が訪れる。だからこそ、生き残ることが、何よりも大切だと思うのだ。

