相手がどんなにでかくても、泣き寝入りしないで、間違っていることは間違っているって言いたいんだよ、俺は。
赤松徳郎
この世は弱肉強食。
強い者が得をして弱い者が損をする。それこそがまさに社会であり、世の中である。
この現状を生き抜くために、強い者に従い迎合することは、何ら恥ずかしいことではない。誰だって、人生で損はしたくない。
だから生き抜くために必要であれば、できることは何だってすればいい。必要なら、黒を白と言うことだってできる。実際、世の中多くの人が、そうして現実に適応しようと努力している。
この意味で、この現実適応の努力を「正しい」か「間違っている」かで云々するのはナンセンスである。
もしあなたがこの現実社会で損をしないことが何より大切だと思うのであれば、それがあなたの人生における最優先事項である。
その信念に従って、うまくたちまわっていくことは、何らおかしいことでもないし、恥ずべきことでもない。
しかし、もしあなたが自分の目の前でどうにも納得できない状況がやってきたとき、「それは絶対におかしいだろう」という受け入れがたい状況に陥ったとき。
あなたはいつでも「No」と言うことができる。相手が誰であれ、自分の意思をはっきり示すことができる。そのことは、決して忘れないようにしたい。
生きるために嘘も必要である。不愉快な思いを偽装して、ときに笑顔を作る必要だってある。生きていくことは、けっして簡単なことではない。
でも、納得できないことは納得できない。絶対におかしいことはおかしい。それをはっきり主張することもときに人生、必要である。
自分の人生に恥じないため、言うべきことをきちんと言う。絶対に受け入れがたいことははっきり「No」と主張する。
こうすることで、ただの「イエスマン」から「言うことは言う人」にランクアップすることができる。
周囲からただのイエスマンと思われるか。それとも言うべきことは言う人だと思われるのか。この差はとてつもなく大きい。つまり、100%「Yes」だけではなめられて自分の首をしめる。
だからこそ、必要に応じてNoを提示し、「私は自分の意思をはっきり示す人です」という立場を明らかにしておく。これもまた、生き抜くための一つの知恵なのだ。
出典
『空飛ぶタイヤ』(ドラマ版)