「ありのままの自分が受け入れられる」という誤解

笑顔が輝く女性

自分のありのままの姿をさらけだしたとしても、

「お前はダメだ」

「あなたはもっと努力するべきです」

など、余計な非難をされずに、

「あなたはそのままでもいいんです。ありのままのあなたで、素晴らしいのだから」

と受け入れてくれる人がこの世の中にたくさんいれば、なんと世の中は生きやすくなることだろう?

ところが実際問題、世の中が「ありのままの自分」をそのまま受け入れてくれることなど、決してない。だから私たちは自分を受け入れてもらうために、様々な仮面をつけて、この世の中を生きていく。

「ありのままの自分」では生きられないことを受け入れる

理想的な話、世の中では一人でも多く、「あなたはあなたのままでいいですよ」という人たちに囲まれて生きていけることは幸せである。

が、実際問題、ありのままの自分を主張していれば、生きにくい世の中の現実を目の当たりにするだけである。

だからこそ皆、ありのままの自分で生きるのではなく、逆に自分を世の中に適応させるための仮面をつけ、本当の自分を心の奥に隠し、生きていくのである。

それがある意味、社会で生きていくということであり、現実に適応すること。すなわち大人になるということである。

それは別に悲しいことでも悪いことでも何でもなく、人として成熟しているという、進歩の証拠である。つまり、むしろ喜ぶべき話である。

人は「分かってくれない」が大前提

逆に問題なのは、「私のありのままを受け入れて下さい。だからあなたは私に対してこのように振る舞って当然です」と過剰に人に期待することである。

それを心理学の用語では「自己万能感」と言うが、他人や世の中が完全に無条件。ありのままの自分を受け入れてくれることはない。

それは完全に誤解である。「世の中はありのままの自分が受け入れて当然で、関わる人は皆、自分のことを分かってくれる」という誤解である。

そんなことは絶対ない。人はあなたのことを完全に理解できないし、あなたもまた、誰かのことを、完全に理解できるはずはないのである。

人間関係とは関係性!

現実問題、親子や夫婦。恋人、親友。

どれだけ親しい間柄の人間関係においても、自分のことを完璧に理解し、どんな自分でもありのまま、そのまま、受け入れてくれる人間はほぼ存在しないと考えた方がいい。

なぜなら人間関係とは本質的に関係性の問題であり、あなたが相手の間において、一定の役割を果たしているからこそ、成立している関係だからである。

例えば、あなたに恋人がいたら。あなたの気分のまま相手に感情をぶつけて恋人を傷つけていたら。どんな誠実でマジメな男性であっても、やがて堪忍袋の緒が切れるだろう。

このように、ありのまま自分の思うまま。感じるまま生きていれば。待っているのはただ、不幸な現実である。

まずは現実に適応する

ありのままの自分で生きること。世の中で幸せに生きていこうと思うなら、それは非現実的な話である。

世の中は人と人との関係性で成り立っている場所である。どこかに属すことになれば、そこで役割が与えられる。

「ありのままの自分はこうだから」と主張したところで、「こいつは大人になりきれていないガキである」と、世の中から見捨てられるのがオチである。

なので、第一に忘れてはいけないこと。それは、世の中でありのままの自分が受け入れられることはないと、最初から期待しないことである。

仮面をつけてもなんでもいい。自分自身をまず、与えられた環境に適応させていくことが大切である。

この出会いを見逃すな!

このように極めて現実的で、気分があまり良くならない話を書いてきたが、「この世の中で、誰もありのままの自分を分かってくれないの?」というと、必ずしもそうではない。

実際の話、数は少ないが、あなたを批判せず、あなたの良いところも悪いところも、「それがあなたなのだから」と受け入れてくれる人が、少なからず存在している。

もしあなたが運良く、そのような人と出会ったら。その好意に甘えつつも、決して彼らの好意を無下にしないことである。

この世の中でたった一人でも自分のことを分かってくれる人。正確に言うと、分かろうと努力して、「あなたは○○すべきです」など一切ジャッジしようとしない人。

そういう人との出会いは、まさに僥倖。とても幸運ことである。「世の中には、こんな人が何があっても信頼できる人がいる」という安心感を実感することができる。

最後に

世の中の大半の人はあなたのことを理解しないし、分かろうともしない。

だから、分かってくれようとしない人に、「分かってください」と努力することは大切だが、自分を自分として、ありのまま受け入れられると考えることは、人間不信の原因になる。

逆に世の中の人間関係は、多少の距離があるくらいがちょうどいい。

「自分はこういうキャラで生きる」という仮面をかぶり、そのキャラで生きていくのもまた、現実適応の手段である。

ただ一つ、もし幸運にも、あなたのことを心から理解しようとする誰かとの出会いが与えられたら。その関係だけは、仮面をぬいで、ありのままの自分で接することが大切だ。

それは魂の触れ合い。この世で極稀に与えられる、素晴らしい関係なのだから。