苦しみと不幸は「すべて」の人に訪れる。それを知ることが

辛いときこそ、人を思う。

社会的な地位の違いはあるけれど、苦しみや不幸はほとんど同量なのです。

一国の宰相や大会社の社長も、人生においては、きみとほぼ同量の不幸や悲しみに遭っているんだと考えなさい。

ところが我々は、そういうときに幸せな状態になっている他人だけが目につくから、うらやましがったりするのです。

遠藤周作

人生不運続きなときや苦しいとき、悲しいとき。

つい考えがちなのは、「なぜ自分だけこんな不幸なのだろう?」という自分悲劇論である。

まぁ確かに、周りの人が幸せそうなのに自分は不幸ばかり。お先真っ暗な状態なら、そう考えてしまうのも無理はない。

ただこういうときだからこそ、思い出したい真実が1つある。

それは、不運は決して自分だけにやって来るものではない、という当たり前のことである。

悲劇は自分だけに起こるのではない

「なぜ自分だけが・・・」

と自分の不運を憐れみそうになったとき。それは、脳みそが自分にとらわれすぎて、視野がとても狭くなっている状態である。

自分のことしか考えることができない。だから自分の身に起こったことが世界の悲劇のように感じてしまう。

だからますます、状況は苦しくなる。

そこで考えてみるといい。もし自分が不幸の真っ只中にいるとしても、果たして世界で不幸なのは本当に自分一人だけなのだろうか?

それが絶対に違うことを想像できるなら、まだ人生はこれからだ。

皆それぞれ今この現在で、それぞれの人生を生きている

世の中には今まさにこの現在、人生最悪に詰んでどん底の人もいる。

悲しい恋愛をして失恋の痛みにもがき苦しむ人。

借金取りに追われてますなうの人。

全てを失いネットカフェで一夜を過ごしている人。

事業に成功したけれど信頼している人に裏切られて人間不信になっている人。

様々な境遇の人が、様々な思いを抱えて生きている。

お金持ちの人もいるし、貧乏な人もいる。人生が成功しているはずの人もいるだろうし、失敗者の人もいる。

人生で不幸を経験しない人はいない

成功者だろうが失敗者だろうが、金持ちだろうが貧乏人だろうが関係ない。不幸は誰もが必ずやって来る。

つまり「なぜ自分だけこんなに不幸なのか・・・」という考え方そのものが間違っていて、不幸は絶対に自分一人にやって来るものではない。

あんな人やこんな人も、実は見に得ない不幸に苦しみつつ、明るく気丈に振る舞っているのかもしれない。

他人の見えない苦しみを想像することができなら、自分の不幸も特別な話ではない。

なぜなら結局生きることは苦しみの連続。

人生まっさら、何一つ不幸がないまま、めでたしめでたしを迎えられる人など、この世に一人もいないのである。

最後に

だからこそ自分が辛いとき。不幸のどん底にいるとき。自分のことではなく、他の人を思おう。

今この瞬間世の中のどこかで、辛い思いをしている人がいること。不幸のどん底に沈んでいる人がいること。

ほんの少しだけでもいい。そのことに思いを馳せよう。

すると自分は一人ではないこと。自分だけが不幸に苦しんでいるのではないこと。不幸や苦しみは皆同じで誰にでもやって来ること。

その当たり前のことに気づくことができるだろう。

出典

『男感覚・女感覚の知り方』(青春文庫、1994年)

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