自分の人生に意味を見出す。そこで重要なのが「死生観」

空を見上げる女性

何百年生きたって、空っぽのやつだっている。

ロン・ベルク(『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 第42話』より)

私たちには、それぞれの人生がある。

世の中には、「このような人生が幸せです」「このような生き方が正解です」というような、「正しい」人生の「鋳型」が提示されている。

しかし、この記事にたどり着いたあなたならうっすらと感じているように、本当に「正しい」人生などあるのか?疑問に感じているかもしれない。

はじめに

生まれ。育ち。親や祖先から受け継いだもの。全てが人それぞれ違うにもかかわらず、一律に「正しい」人生など、あるはずがない。もちろん、模範とすべき普遍的な生き方はある。

社会のルールを尊重する。他人の権利を侵害しない。人として間違ったことをしない。そういったことができていれば、人生の「正解」を、誰かに押し付けられるいわれはない。

大切なのは、「自分にとって」の「正解」を見出すことである。「私の人生はこれでいい」「これこそが自分の人生だ」と自分自身で納得することが、最終的には自分自身の生き方を肯定する唯一の方法である。

どうやって?そこで大切なのが「死生観」である。すなわち、あなたの生き方に対する考え方である。

「長生き」は幸せか?

世の中では長く生きることが幸せで、若くしてこの世を去ってしまう短い人生や、逆境や困難が続く人生を、不幸だと考える傾向がある。そして、若いことは良いことであり、年を取り老いていくことは悪いことだと考える傾向がある。

だが私はそうは思わない。大切なのは人生の質である。私たちは老い、いつか必ずこの世を去っていく。本当の意味で問われるのは、生き方それ自体である。

したいこともできず、ただ生存のためだけに生きるくらいなら、たとえ短い期間でも、せっかくこの世界に生まれ落ちたのだから、ここで自分がしたいと思うことに、全力で挑戦し続けたい。

その結果人からバカにされようとも、どこかで野垂れ死しようとも、私は決して後悔はしないだろう。なぜなら、自分が「すべき」と思ったことができたのなら、自分の人生に意味があったと思えるからである。

死生観はこのように問われる

「明日」に不安を感じ、不安に備えるためだけに日々を送る。それは一つの生き方だろう。

「将来に備える」ためにお金を貯め続け、好きなことやしたいことを我慢し、口座の数字が増えていくことに喜びを感じる。そして年と取ったとき。

いくら口座に何億もの「資産」があれど、旅行に行き素晴らしい景色を味わう体力や気力は衰えている。欲しかったものを手に入れても感性が衰えているのでその喜びは驚くほど味気ない。

『アリとキリギリス』という有名な物語があるが、多くの人が、自由気ままに生き最期にはのたれ死んだキリギリスの生き方を、愚かだと考えるかもしれない。

しかし短くも豊かなその生き方が愚かなのか?私はそうは思わない。その生が短くてもその日々、その人生が充実しているならば。それは素晴らしい人生だったと思う。これは私自身の死生観がそうだからなのだが、あなたはどうだろう?

最後に

私は「正しい生き方」を説くつもりはない。そんなものは、人それぞれ違う。大切なのは「あなた」が自分の人生をどう考えるか、である。

私たちが生きているこの人生は、やがて終わりを迎える。それが明日なのか、いつなのかはわからない。しかし、その時は必ず、やってくる。人生の限られた時間、何をして何を学んだか。そしてどんな人になったのか。問われるのは質である。

そこで想像してみてほしい。あなたがその人生を終えるとき、どのように生きたならば、その人生に納得することができるだろう?どうなれば「私の人生は散々だった・・・」と不満を抱かず「これで良かった」と納得することができるだろう?

それがあなたの死生観である。少し難しい話かもしれないが、真剣に考える価値がある。なぜならあなたが自らの死生観を問い、自覚するからこそ、「今」この生きている時が輝き、意味を成すからである。

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