人生あわてても仕方ない。
まわりはどうあろうと、自分は自分で、たったひとつしかない人生を大事に見つめて歩いていく。それでも、家康さんのように、「重きを負うて遠き道を歩む」などと気負うこともない。
人生はそれほどたいしたものではない。ごく素直に、ぼちぼちと歩けばいい。また、ぼちぼちだからこそ、歩き続けられるのではないか。
ぼちぼちとは、ともかく、前へ向かって歩いていることである。自分のペースであるき続けているということである。
城山三郎
当たり前の話だが、自分の人生を歩むことができるのは、この世に自分をおいて他はない。
自分の人生を自分で歩んでいくのなら、なぜ自分の人生をほかの誰かと比べる必要があるだろう?人に比べてどうだとか、悩む必要があるのだろう?
自分の人生はどこまでいっても自分だし、結局は自分のペースで歩んでいくのが正解ではないか?そのことに気づくかせてくれるのが、この言葉である。
自分という条件
自分には自分という条件がある。
その条件は、他の誰も持っていない固有のものであり、だからこそ人は人、自分は自分であることを忘れずにいたい。
人には人の人生があるけれど、やっぱり自分には自分の人生がある。
だから決して人と比べて道を急ぐ必要はない。自分にぴったりの速度で、自分が納得いくように、ぼちぼち前へ進んでいけばいい。
そうすれば最後には、やっぱりこれは自分の人生。自分なりに人生を生きる意味と価値を実感することができる。
いつも自分を忘れない
人生に良い悪いもないし、早い遅いもない。
この意味で人生大切なのは徹頭徹尾マイペース。人は人、自分は自分で、焦らず急がず、進んでいけばそれでいい。
自分という人生には、今の自分しか経験できないことがたくさんある。なのに他人と比べて足を早めて焦ってしまう。
それは本当にもったいない。
人生自分を見失い、他人と誰かを比べそうになったときはいつも思い出したい。
自分は自分。人は人。その当たり前だけど、大切な事実を。
出典
『打たれ強く生きる』