人は本当に静かな絶望の中に生きるしかないのか?

人々

多くの人間は静かなる絶望の日々に生きている。

ヘンリー・D・ソロー

学校に通うこと、会社に勤めること。

私たちは生きていくために、どこかの集団に所属し、そのなかで周りの人と上手くやっていくため、妥協することを自然に覚える。

社会生活の中では、自分の思い通りにできることは少なく、もし好き勝手に行動したら、その社会の中では生きていけなくなる。

人と折り合いをつけ、灰色の世界で物事を妥協していく。そして、妥協を繰り返すうち、人は自然と、自分を社会へ適応させる方法を覚えていく。

これはいわば環境から課せられる強制なので、その点について、個人の意識で抗うのは非常に難しい。

静かなる絶望の人生

早い話、世の中平凡で、安全第一に生きていくなら、妥協することは必要である。

自分の意思を貫くよりも、白を黒と言い、自己主張を極力抑えていく。これによって、周囲との軋轢や衝突を避け、生きていくことができる。

その代償として、自分の人生の可能性を捨てなければならない。

「オレの人生、これでいい」という限界を作り、そのワクの中で小さく生きていく。大きな感動がない変わりに、大きな失望もないだろう。

この意味で、「静かなる絶望の人生」という表現は非常に心に迫るものがあるが、幸い、人生は自分自身で選択することができる。

問題は、どちらを選ぶかという、選択の問題である。

自分の魂に正直に生きる人生

自分のこころに正直に生きようとするなら、妥協していいこと、妥協してはいけないこと、ハッキリと区別して、自分のスジを通す必要がある。

してみたいこと、ワクワクすること、いろんな可能性を信じて、動く人になるなら、人との衝突を覚悟で、自分の生き方にスジを通していく。

すべてを投げ出したくなるほど、辛い失望があるかもしれない。立ち直れないほどの失敗もあるかもしれない。

それでも、自分のこころに正直な生き方をすれば、どんな結果であれ人生に後悔しないだろう。

それこそが最高の人生を保証するものであり、この世を生きた証になるのだ。

決めるのは自分自身!

安全な生き方はそれはそれで一つの選択である。

「自分はこれでいいのである」と覚悟し、その代償を支払う覚悟を決めたなら、自分の選択を迷う必要はない。

一方で、自分の魂が妥協の日々を甘受できないなら。もう自分にウソをつく必要はない。いろんな衝突を覚悟の上で、心のままに生きていけばいい。

それは安全な人生ではないだろう。様々な苦難と困難がつきまとう厳しい道になるだろう。

それでもなお、自分に正直に生きたこと。思うとおりに生きたこと。それは何もにも代替できない、唯一無二の満足感を与えてくれる。

人生どちらを選ぶか、決めるのは自分である。あなたはどちらを、選ぶだろうか?

出典

『森の生活』(講談社学術文庫、1991年)

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