不幸続きの人生でも希望を捨ててはいけない。なぜなら

暗闇のなかの希望

「不幸」は「幸福」につながる伏線でもあるの・・・ だからつらい事や苦しい事があっても悲観しないでね。

ミザリィ

「人生万事塞翁が馬」

もし人生で不幸が続き、自分の運命に希望が見いだせなかったとしても、絶望する必要はない。なぜなら人生は面白いことに、幸福のなかに不幸の種があり、不幸のなかに幸福の種があるからだ。

だから今不幸が続いていたとしても、そこには必ず意味がある。今の不幸の中に、次の幸せになるためのきっかけを見つけることができるのである。

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「人生万事塞翁が馬」は普遍の真実

不幸の始まりは実は幸福の始まり。これは気休めでも何でもなく実際の真実である。だからこそ「人生万事塞翁が馬」という先人の名言に嘘はない。

「それは不幸である」というのはあくまで自己判断であり、長い目でみればその不幸に思えたことは実際の話、幸福な人生への転機となる可能性がある。

それに気づきさえすれば、最終的には幸不幸はすべてチャラになる可能性がある。だから人生が不幸が続いても。人生を諦める必要はないのだ。

終わりよければ全てよし

更にもう一つ朗報がある。

むしろ、人生最初に悪いことが続けば続くほど、最後の最後で最高の幸せがやって来る傾向があるということを知っておいて損はない。

その実例はあなたが今すぐ歴史を学び始めることでその証拠をすぐに見つけることができるのでここで云々するのは控えたい。

つまるところ、あなたの人生が現状「前途洋々」でなかったとしても。苦しみの連続だったとしても。

大切なのは長い目で見ることである。せっかく人生で負を先払いしているのに、あなた自身が人生をあきらめてしまうのはもったいない話である。

「これから」のことが要注意な人

一方で本当にこれから注意が必要な人。それは、人生で失敗し続けた人。挫折し続けた人。不幸を味わい尽くした人ではない。

人生今まで順調で、苦労という苦労を経験して来なかった人。人の痛みや苦しみを味わうことなく成長してきた人。やることなすことうまくいってきた人。

そういう人こそ、人生の後半生は注意である。というのは今までが幸福続きだったからこそ。そこから最悪の不幸がやって来る可能性があるからである。

「自分の人生は最高である!」と悦に入った瞬間。思わぬ落とし穴が待っているのが人生の不思議な配慮なのだから。

最後に

人生で起こることはつながっている。

今現在が幸福でも油断してはいけないし、今現在が不幸でも、希望は常にある。だから人生はどんなときでも、決して悲観してはいけない。そもそも悲観する必要もない。

それはドラマの一コマにすぎない。「もうダメだ・・・」とあきらめたその次は、「本当にありがとうございます!」と人生に感謝できる出来事が待っているかもしれない。

つまるところ希望は常にあり。自分で自分の人生を勝手に見切ってはいけないのである。

出典

『アウターゾーン 15巻』