「運の良さ」は確率論で考えると分かりやすい

遠くを見つめて

世の中には、運がいい人と運が悪い人、2種類の人がいる。

運がいい人とは早い話、何をするにもうまくいく確率が高く、何かに失敗したときでも、それが最悪の事態につながっていかない。

だから何かにつけて成功しやすく、結果として、幸福度が高い人生を送ることができる。

一方運が悪い人とは端的にいって、努力が結果につながりにくい人のことを指す。成功する人と同じ努力をしても、タイミングに恵まれない。チャンスに恵まれない。

最終的には何もかもうまくいかなくなり、幸福度の低い人生を送る羽目になる。

なぜこのようなことになるのか?

これを分かりやすく説明するために、確率論が参考になる。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

最初であたりを引く人 何度引いてもあたりが出ない人

例えば宝くじ。

宝くじの一等賞(年末ジャンボの場合)が当たる確率はわずか0.000005%。つまり、まずハズレの可能性が高い。

にも関わらず、初めて買った宝くじで一等賞をゲットする人が、この世の中には存在している。その一方、10年20年宝くじを買い続けても、一等賞をゲットすることができない。

条件は皆同じである。

しかし実際には、宝くじに当たる人は、何枚も買わなくても、たった1枚買っただけで、1回で当たることもある。

逆に、運が悪い人は、いくらお金を使って宝くじを購入しようと、決してあたりが出ることはない。つまり、確率には偏りあって、この偏りの差こそが、運の正体と考えることができる。

確率はあくまで目安。実際は全く関係ない

運がいい人には確率論は関係ない。普通、10%の成功率しかなかったとしても、運が良ければそこから補正が働き、成功率がアップする。

逆に、運が悪い人は、成功率が50%だったとしても、2回チャレンジしてもうまくいかない。いや、10回チャンレジしても、うまくいくかは分からない。

これはとてつもなく不平等な話ではあるが、否定することができない、現実である。

もし、私たちの人生が無限で、何度でも挑戦することができるならば、それは大した問題ではないかもしれない。

しかしあいにく、私たちは、時間。資金。体力。あらゆるものが限られている。だからこそ、少ない挑戦回数でうまくいくのとそうでないのとでは、人生で大きな差となって現れてくる。

この意味で運も完全に実力のうち。いやむしろ、実力よりも運の方が、ずっと大事なのかもしれない。

まとめると

こうして考えてみると、日々結果を出すために、欲しいものを手に入れるために、努力することはあくまで前提条件である。

それに加えもう1つ、運に恵まれる必要がある。だから、運を良くする方法だとか、その手の話は、決してバカにするものではない。

運に恵まれなければ、努力を重ねても、それが徒労に終わる可能性が高い。

しかし、運に恵まれていれば、人生日々、何気なくする行動すべてに運による上方補正がかかり、特に意識をしなくても、良い方向に導かれていく。

このように、運の良さは日常生活のあらゆる場面において、適応されていく。物事がうまくいくかいかないか、それは確率論ではあるが、しかしその確率に偏りがある。

それこそがまさに、運の正体である。その力を、決して侮らないことをおすすめしたい。