「ねばならない」の思考の人は、心のどこかで、人は努力すれば物事を思い通りにできる、良い結果が出せるという期待がある。
思い通りの良い結果にならないのは、努力が足りないせいだと考えてしまう。だが、実際には、この世の中の出来事の大部分は、人知や人力によってはどうすることもできないことばかりだ。
自分の努力でなんとかしようとする人ほど、失望し、意気阻喪してしまいやすい。むしろ生きるために必要なのは、努力してどうにかなるかどうかを、よく見極め、何とかしようとしても無駄なことには、あくせくしないということだ。
岡田尊司
欲しいものを手に入れる。したいことを実現する。そのために、今自分ができること、すべきことをし、努力することは大切なことだ。
努力によって実現できる夢があるのも確かだし、努力することで、自分が前へ進んでいる、成長していることを実感できる。この意味で、基本的に努力することは大切だし、努力することもなしに、欲しいもの、したいことができるようにはならない。
しかし注意したいのは、努力すれば何でも実現できる、自分の人生が努力次第でどうにでもなると考えないことだ。というのは、努力は万能ではなくて、努力しても最初からどうにもならないこともあるからだ。
はじめに
世の中、いくら頑張っても実現できないこと、努力が報われないことがたくさんある。努力することは大事だが、努力が報われないことがあることを知っておくこと必要がある。
だからこそ大切なのは、何を努力して、何を努力すべきでないか、それを見極めることだと思う。努力して報われることは必死に努力する。努力してもどうにもならないことは努力する必要がないのだから、最初から放置&スルーでいい。
「これは無理そうだ」と思ったときは、「努力すれば何とかなる!」なんて考えず、「無理ものは無理」とさっさと諦めればいい。その変わり、「これは頑張れば何とかなりそうだ」ということは、必死に食らいついて努力する。そんな割り切りが大切だ。
人生で本当に大切なことは結果ではなく過程それ自体にある。だが
報われない努力は楽しくない。人生を無駄にしてしまう。何より、努力するなら報われたい。そう考えるのは自然である。
人生で本当に大切なことは結果ではなく過程それ自体にあるのだが、現実社会において評価されるのはあくまで結果でしかない。
頑張っても結果が出ないなら、誰も評価してくれないし、最悪「こいつは頑張っているくせにダメだな」と周りから無能の烙印を押されてしまう。
何も手に入れることができないし、世の中からはダメ扱いされる。いいことは何もない。だからこそ、根性論で努力しても仕方ない。それより、頑張ることで何かが得られる、自分や周りにプラスになる、そういうことを必死で頑張った方が気持ちいい。
「努力している」その意識が意味する真実
あくせくせず、本当にやるべきことは何かを見極め、それに集中する方が、人生の効率は良いし、結果も出やすいし、いいことが多い。
そしてここだけの話だが、実際のところ「私は今努力をしています」という意識を持って取り組んでいることは、実は自分が本当にしたいことではないケースの場合が多い。
仕方なくそれに取り組んでいるか、「それをすることが必要である」と自分自身が錯覚しているケースである。だから、「頑張っている」「努力している」という意識がつきまとう。
こういったことに対する「努力」は、長い目で見れば実のところ、「それをしてもしなくても対して違いはない」という結果に終わることが多いのだ。
あなたの人生において本当に必要な努力はそもそも、あなた自身が結果にとらわれない。そして、「努力してそれをしている」という意識を感じない。なぜならあなた自身がすでにそれをやる意味を、心の深い部分で理解しているからである。
最後に
頑張ること、それは素晴らしいことなのかもしれない。ただ、何をどう頑張るのか、頑張る意味はあるのか、そこだけはしっかり見極めたい。
人生は長いようで短い。する必要のない努力、本当はしたくない努力をすることによって人生を浪費してはいけない。何をして何をしないのか。それはあなたがこの人生において本当にすべきことをするための大切な行動である。
繰り返すが人生は、自分自身が考えるよりも短い。努力は大切だ。だが、物事によっては「努力をしない」というチョイスもある。本当にすべきことに取り組むために。
出典
『生きるための哲学』