「自分が発した言葉」が自分に返ってくる仕組み

会話する女性2人

人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

ブッダ

「口は災いのもと」とはほんとうに、よく言ったものである。

自分が発した何気ない言葉が、人や形、状況を変えて、やがて自分に戻ってくるという現象に科学的な根拠はないが、「結果としてそうなってしまう」という傾向は確かにある。

すなわち外側に発する言葉はそれ相応の影響力を持つ。ゆえに口を開くときは、「自分が発する言葉はやがて自分に返ってくる」という前提で口を開くことが大切である。

ではなぜ、発せられた言葉には影響力が生じるのか?この記事ではその理由について、一つのキーワードから考えていく。そのキーワードとはずばり、「感情」である。

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はじめに

言葉は現実を創造する。言葉とは私たちの内側から生まれる。そこには感情や思考が表現されている。だからこそ外側に発せられた言葉はやがて、外側で現実を創造し始める。

ここで重要なのは、「言葉が創造するものは、そこに込められている感情がその本質であり、選択された言葉それ自体ではない」ということである。

例えばあなたが「成功」という言葉を常用するとする。ここであなたの喜ばしい未来の自分の姿や、訪れる最高の日々をイメージしたときの喜びや充足感を感じつつ「成功」という言葉を日常的に用いるならば、喜びや充足感溢れる未来が創造されうる。

だが、あなたが「成功しないと私の人生はハッピーにはなりません」など、恐れや不安という感情とともに「成功」という言葉を意識的に使おうとも、そこから創造されうるのは、恐れや不安に満ちた現実である。

すなわち言葉に現実創造の力を与える真の正体とは、言葉に込められた感情なのである。

こうして「発したもの」は返ってくる

「情動伝染」という心理学の専門用語がある。

漢字からその意味が察せられるように、私たちは「人が発している感情を自分が感じている感情のように感じてしまう」という事象があることが、研究によってわかっている。

すなわち誰かが発した感情は人から人へと伝播する。ゆえにそれはフィードバックとして、「発した言葉(に込められた感情)が自分に返ってくる」と考えることができる。

善意には善意が、悪意には悪意が、「自分が人に与えたものが返ってくる」という鏡のような反射現象はよく知られていることだが、それを説明するのに難しい理屈は不要だろう。

私たちは感情に反応する。あなたの目の前にいる人が(作られてはいない、自然で幸せな感情で)ニコニコしていれば、あなたの表情も自然と和らぐだろう。それは、穏やかな感情があなたに伝染したからである。

だが、あなたの目の前にいる人が「なんだぁ、おめえは?」というような表情であなたをじっと見つめてくれば、あなたは居心地の悪さを感じずにはいられないだろう。

そこに疑いや拒絶といった感情が込められている。意識するしないに関わらず、私たちはそうした感情を感じ取ってしまう。ゆえに、居心地の悪さを感じずにはいられないのである。

この連鎖反応こそがまさに、「自分が発した言葉が自分に返ってくる」理由であると考えられる。

表面上、どのような言葉が用いられようとも、私たちが反応する部分とは言葉に込められた感情である。私たちは言葉に込められた感情を直感的に感じ取り、その感情と同質の反応を示す。だからこそ「口は災いのもと」になるのである。

言葉の使い道を自覚する

言葉は人生を創る理由。それは言葉が人生を創るのは言葉には感情がこもり、そこにその言葉を発した自分自身だけでなく、他者への影響力が生じるからである。

言葉は人だけでなく自分を生かすことができる一方で、まさに「悪口を言って、その斧によって自分を斬り割く」こともできる。だからこそ、言葉に対して自覚を持つことはまさに、自分自身の人生に自覚を持つことに他ならない。

発する言葉、用いる言葉がいかに他者だけでなく、自分自身の人生に影響力を持ちうるのかを知ることだからである。それはつまるところ、私たち自身の人生、そして運命に影響する。

言葉に「良い」「悪い」というカテゴリを作ることはもしかしたら、適切ではないかもしれない。だがシンプルな事実として、言葉には自分及び周囲の人にとっての「良い」言葉と、「悪い」言葉があることは確かである。

そこには言葉に応じた感情が込められる。感情は人から人へ伝播し、やがて自分のもとにフィードバックとして、自分が発したものと同じ性質のものが戻って来る。

この事象を理解すれば、言葉を無自覚に発するのではなく、然るべき意図を持つことの大切が分かるだろう。

最後に

何の本だったかは失念してしまったが、「私は人の言葉によって傷つくことはない。なぜなら私は、人の言葉が私に影響を与えることを許さないからだ」という言葉を見つけた。

この考え方はとても大切だと考える一方で、確かに私たちは人の言葉によって、少なからず影響を受けてしまうものだとも考える。先に述べたとおり、言葉には感情が込められているからである。感情は人から人へと伝播する。そしてやがて「発信源」に戻ってくる。

私たちは自らの言葉で自傷することもできるし、私たち自身の人生を拓き、豊かにするために言葉を使うこともできる。言葉は使う人次第だからこそ、その使い方に注意が必要なのである。

出典

『ブッダのことば』