人は何歳になっても未完成のままである。知らないことはたくさんあるし、いたらないところもある。いくら年をとっても、心をかき乱されることもある。
そんな自分を見つめながら、謙虚さを失わないように生きていくべきだろう。むしろ完成などしなくてもいい。完成すれば、それ以上進歩する余地がなくなってしまうからだ。
小倉昌男
人間としてあらゆる意味で終わらないために大切なのは、常に自分が発展途上であることを自覚することである。
つまり、今の自分はまだまだこれから。常に「自分は未完成である」という意識を忘れないことである。
「傲慢」が転落の始まり
人間としてある意味本当に終わるときは、完全に自分のことを過信してしまうときである。それは人生が好調のときほど起きやすい典型的な勘違いである。
たとえば、運に恵まれてやることなすことうまくいく。すると自我は順調に肥大化し、自分の何もかもが正しいように錯覚してしまう。挙げ句、「自分は特別なんだ、人よりもスゴいんだ」と勘違いし、傲慢な振る舞いを遠慮なくする。
その結果どうなるか?
人間的な成長がストップするだけでなく、「あいつは調子こいてるぞ」と人々の反感を買う。このときは嫉妬心も刺激しているので、いろんなところで足を引っ張られるようになり、最後はお約束の末路を迎える。
運に見放されたとき、自らの傲慢さの責任を取ることになるのだが、このような失敗はまさに典型でありパターンである。
だから「自分はまだまだ」という態度を堅持する
ではこれを避けるためにはどうすればいいのか?そこで大切なのは、人生良いときも悪いときも「自分はまだまだです」という謙虚さを持つことである。
もちろん、どんなときでも別に心の奥に自分に対する自信は持っていい。「俺はスゴイんだぞ」という信念を持ってもいい。
ただし、それを表に出してはいけない。人の反感や嫉妬を買うような振る舞いをしてはいけない。それは自分を戒めるだけでなく、自分の人生を進んでいく上で、無用な妨害を受けないための知恵である。
だからこそ、人生どんなときでも「自分はまだまだダメなんです、宜しくご指導をお願い致します」という態度は必須。
人として終わらないために。何より、人生がうまくいったとき、周りから足を引っ張られないために。謙虚さは必ず、役に立つ。
最後に
自分に対して自信は持っていい。努力してきたこと。成し遂げたこと。今の地位や名誉。なんでもいいが、自分の人生の足跡を誇るのはいい。ただしそれは自分の中だけにとどめておくことである。
そして人前にいるときは「私はすごいです」という態度を1ミリも見せてはいけない。自信満々の態度を周囲に見せつけることは、余計な敵を増やすだけの愚行である。
それに、実際問題私たちは常に発展途上である。ベストは常にこれからである。自分の成長を自分で止めないためにも、「自分はまだまだ」という気持ちを、忘れてはいけない。
出典
『小倉昌男の人生と経営』