何があっても自分の運命を見捨てない。それだけで未来はやがて

光を見つけた女性

幸運な人間であったとしても、その幸運の限度を知っている者は誰もいない。ユーフラテス川に放り込まれたとき、手に真珠をつかんで浮かび上がってくることがあることを誰が想像できようか。

バビロニアのことわざ

「人生どこでどうなるか分からない」

この言葉はあまりにありきたりかもしれないが、良い意味でも悪い意味でも、否定できない真実を伝えている名言である。

すなわち、幸福の絶頂から突如不幸のどん底に叩き落とされることがある一方で、「もう自分の人生は終わりである」という不幸のどん底で、「私の人生は信じられないくらい最高になりました!」という幸運をつかむこともできるのである。

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なぜ今それが起こったのか?

いかに目の前の状況がどうであれ、これから先どうなるかは、誰にも分からない。だからどんなときも、自分で自分の運命を見限るのは損である。なぜなら不運だけでなく幸運は、自分自身で予測することができないからである。

かりに、「どうして自分はこんなにも不幸が続くのか?」というどん底の出来事が繰り返し起こったとしても。それがなぜ起こったのか?その本当の意味や価値は、長い目で見なければ気づきにくいものである。

その出来事が起こった何年かのち、「だから自分はその出来事を経験することになったのだ」と気づくことができる。そういうものである。

だから自分の運命を見捨てるな

禍福は糾える縄の如し。不運は幸運へ。幸運は不運へ。その出来事の単発的な幸不幸を云々することはあまり意味がない。

だから「Why me?」と人生を嘆かざるを得ないようなことが起こったとしても、このように考えることはできる。「この不運の中で、信じられないくらいの幸運が見つかるかもしれない」と。

それは実際に起こりうる。あなたが自分の運命を見捨てないかぎり、これからあなたの人生に光が差す可能性は常にある。この先の人生で、予想外の素晴らしいことが、十分起こりうるのである。

最後に

人生がうまくいっていないとき。なぜか不運が続くとき。やることなすこと失敗するとき。そんなとき、自分の運命を信じることはかんたんではないかもしれない。

しかしだからこそ、である。「これからきっとよくなる。人生はなんとかなる」と信じることである。なぜなら人生はほんとうに、どこでどうなるか分からない。

あなたが信じられないような展開がこれから、待っている可能性は十分にある。たとえ目の前に不幸を差し出されても。そこにとんでもない幸せのタネが潜んでいることもある。

だからである。何があっても自分の運命は見捨ててはいけないのである。

出典

『バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』(グスコー出版)

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