人生は最初から決まっている部分がある。一方で、自分の行動次第でいくらでも変えられる部分がある。
この意味で、私たちはある運命が与えられていると同時に、自らの運命を創り出す存在でもある。
ではどうすれば人生を自分の意思で、主体的に生み出すことができるのか?そのためにはまず、この2つを正しく区別する必要がある。
運命は完全に変えられるか?
運命には内と外。自分の意思で変えられるものと変えられないものがある。前者は生まれや育ちといったものであり、後者は今現時点での行動や選択である。
大切なのは、一体何を自分の努力で変えることができ、何を自分の努力で変えることができないのか?その区別を知ることである。
変えられないことを変えようとする努力はただ時間を浪費するばかりか、それを続けることによって、「どうせ自分は・・・」と、自己イメージを低下させる危険性がある。
そして、変えられないことに囚われることによって、本来発揮できたはずの能力を発揮できず、自己実現の可能性を自ら潰してしまう。それは本当に、もったいない話である。
限界を知ることは悲しいことではない!
自分の限界を知ることは大切である。それはネガティブな意味ではない。ポジティブな意味として、である。
なぜかというと、自分ができないことを知ることによって、自分ができることを徹底的に、追求していくことができるからである。
私たちは、個人のチョイスとして、自分が変えられないことに執着をし、そこにネガティブな気持ちを抱き続けることはできる。
しかしそれは「自分には無理である」とスッキリ割り切ることも大切である。それができるからこそ、「自分は自分でそれでいい」と最終的に満足できる運命と、邂逅することができるのである。
まとめ
私たちには変えることができること。変えることができないこと。そんな2つの運命がある。
変えられないものを変えようとするのは時間のムダであるだけでなく、本来自分が成すべきことを成すためのチャンスさえ見逃してしまうリスクがある。
だからこそ取捨選択。私たちは選ぶのである。何を自分で変えられて、そして、何を自分で変えられないのかを知った上で。
最後に
つまるところ、自分の希望が実現できない運命だとしても、それは案外不幸ではない。むしろ、自分の希望通りとは想定の範囲内で、予定調和に終わる退屈な運命である。
一方、自分の限界を知りつつも、そのなかで選択を積み重ね、「これが私の運命です」と見出すその道こそが、本当の意味で、自分自身の運命と言える。
ただ一つ言えるのは、自分の運命は自分で見出すこと。それは「これがあなたの運命です」と決めつけられるものではない。折り合いは、自分でつけるものなのである。