自分が一体何者なのか。それを忘れてしまわないために

私は私、人は人

どれだけ成功しても、また金があっても、人は一つの人生しか生きられない。そのことを肝に銘じなければ、思わぬところで足をすくわれることになる。「あれも、これも」は、覚悟がなければできないことなのだ。

誰もスーパーマンになど、なれない。それどころか、もう一人の自分にさえなれない。もしなれたと思ったら、それは夢うつつで見た、まぼろしにすぎない。つまり、一瞬で終わるのだ。そう思っていなければ、必ず道を間違える。

見城徹

「人には無限の可能性がある」と誰かが言った。

つまり、人はなろうと思えば、どんな人にだってなることができる。その考え方はとてもワクワクするが、同時にとても危険な考え方でもあると思う。

なぜなら、結局自分が何者なのか?それを決めて受け入れるのは自分だけだからである。

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生まれつき与えられたもの

人にはそれぞれ、生まれたときから強制的に付与されている条件がある。それは才能とか遺伝とか、いろんな言い方ができるけれど、その条件を無視することは絶対にできない。

だからたいていは「かえるの子はかえる」。生きていれば否が応でも、自分の限界を思い知らされ、「自分らしさ」をあきらめてしまうこともあるだろう。

とはいえ、そのこと自体は全面的に悪いことではない。良い意味で「身の程」を知り、自分が何をできるのか。そして何ができないのかを冷静に判断することは、この世の中を生きていく上で、とても大切なことである。

「無理のない生き方」という視点

自分の無限の可能性なんて信じる必要はない。だが現実の自分がどうであれ、ただ一つ忘れてはいけないことがある。それは、「自分にはできることがある」という事実である。

完璧な人はいない。完璧になる必要もない。人は人で自分は自分。大切なのは比べることではなく、自分のことを知り、自分ができそうなこと、したいことを、知ろうとすることである。

自分ができることがかすかでも見えてきたら、それに専心すればいい。そうすれば結果的に、自分にとって最善の生き方ができる。一番幸せになることができる。なぜならそれは、「自分にとって無理がないから」である。

それは本当に自分自身が望むことなのか?

冷静に考えてみてほしい。お金があることは確かに素晴らしい。だが家も車も、いくつも必要だろうか?高層マンションの最上階で暮らすことは、本当にあなたがしたいことだろうか?

毎日顔を合わす人に称賛される日々を送りたいだろうか?毎日様々な異性と人生を謳歌したいと思うだろうか?そう思うならそれを目指すのはあなたにとって自然なのでそれを求めればいい。

だが「どこか違うかもしれない」と思うなら、もっとあなたにとって自然な在り方があるはずである。あなたは何でもかんでもしたいと思うことはないかもしれないが、あなたにとって「重要に感じられる」ことがあるはずである。それを大切にするのだ。

最後に

結局自分は自分でいることが一番である。別の誰かになる必要なんて、これっぽちもない。他の誰かになろうとせず、自分をとことん極めればいい。

それを別の言葉で表現するなら「自分の人生を大切にする」である。自分の人生を大切にすることで、「自分は自分でいい」と心から安心できる。自分を肯定することができる。その在り方こそが、自分にとって無理がないからだ。

だから人生に無限の可能性は必要ない。できないことがあってもいい。すべてが満たされなくてもいい。人生はそれでいいのである。

出典

『人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない』