運命があるのかないのか。それを気にするよりもっと大切なことは

まっすぐにこちらを見つめる美女

人生において何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。

もし一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら運命というものはまた考えられないであろう。

偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっている故に、人生は運命なのであろう。

三木清

人生には、どう考えても自分の意思、努力、選択ではどうにもならないものがある。

別に自分の意思でその道に進もうとしたわけではない。しかし、いろんな偶然や時勢によって、その道へ進むしか選択がなかった。

それをただの偶然と片付けるにはどう考えても無理がある。そういうことは確かにある。人はそれを、運命だった、と諦観する。

一方で、自分の意思を持ってそれをやるかやらないか。明らかに選択の余地が与えられている場合もある。そして、その選択によって進路が変わり、運命も明らかに分岐する。

この意味で人生とは、運命と意思。その2つによって織りなされていくものと考える方が現実的かもしれない。

つまり人生において100%完全に定められた運命があるのではない。

大枠の運命があるにしろ、その詳細についてある程度は自分の意思で変えることができる可塑性があるのかもしれない。だからこそ大切なのは自分自身が「選ぶ」ということに対して、もっと自覚的になることである。

もしかしたらその何気ない選択こそがまさに、これから先の運命を決めているかもしれない。つまりは運命があるかどうかなんて関係ない。

結局は今のこの人生を自覚的に生きること。それが大切なのだ。

出典

『人生論ノート』